被害者や倒壊家屋の数、マグニチュード、緯度経度は、記録でも誤差があったりします。できるだけ1つの地震に対して複数の記録から調べて書き出していますが、間違っている箇所や付け足すもの、地震詳細情報やURLやデータがあればお知らせください。
<現在随時追加中-追加予定、新潟地震・福井地震・南海、東海、東南海昭和以前、昭和三陸地震、北但馬地震、明治三陸地震、庄内地震、浜田地震、陸羽地震、北伊豆地震、北丹後地震>
| 地震発生 年月日時 |
地震発生の内容 / 地震の記録や体験レポートのリンク |
2011年3月11日
東日本大震災 |
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2007年7月16日
新潟県中越沖地震 |
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2005年8月16日
宮城県沖地震 |
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2005年3月20日
福岡県西方沖地震 |
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2004年10月23日
新潟県中越地震 |
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2003年9月26日04時50分
十勝沖地震 M8.0 |
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2003年7月26日13時8分
宮城県北部地震 M6.2 |
- 2003年(平成15年)7月26日 7時13分 M6.2 宮城県北部(北緯38.4度 東経141.2度) 深さ12km
- 前震 26日00時13分(最大震度6弱M5.5)
- 余震 26日10時22分(最大震度5弱M4.8)、26日16時56分(最大震度6弱M5.3)、28日4時08分(最大震度5弱の地震M5.0
)宮城県北部において震度6弱、6強を観測した地震が続けて発生
- 死者・行方不明者なし 負傷者675名 全壊1250棟 半壊3726棟 一部破損10988棟
- 震の発震機構は、東西方向に圧力軸をもつ逆断層型
- 今回の地震活動の前にノイズレベルを超えるような変化は認められなかった。
- 宮城県沖の地震の震源域から内陸側の広い範囲で5月26日の地震以降、い地震活動がやや活発になっていた。
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今回の一連の地震で、揺れの最大加速度は阪神大震災の倍以上の2037.1ガル(26日00:11am)を記録観測史上最大との事
- 震度分布図(7/26-07:13)
- 宮城県北部の地震(Hi-net)
- 宮城県北部の地震特集ページ(東京大学地震研究所)
- 宮城県北部の地震の評価(地震調査研究推進本部)
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2003年5月26日18時24分
宮城県沖地震 M7.0 |
- 2003年(平成15年)5月26日18時24分(北緯38.81度 東経141.65度) 深さ71km
- 沈み込む太平洋プレート内の地震
- 6/2 9:00までに発生した余震は156回 5月27日0時44分が最大でM4.9震度4
- 震度分布図
- 宮城県沖の地震
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2001年3月24日15時27分
芸予地震 M6.4 |
- 2001年(平成13年)3月24日 15時27分 M6.4 震源安芸灘(北緯34.1度 東経132.7度) 深さ51km
- 死者2名 負傷者259名 建物全半壊207棟 一部損壊26504棟
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2000年10月6日13時30分 鳥取県西部地震 M7.3 |
- 2000(平成12年)年10月6日13時30分 M7.3
震源島根県西部 震度6強 深さ10km
- 負傷者147名 住家全壊411棟 住家半壊2909棟 住家一部破損15937棟 非住家公共建物201棟 非住家その他1636棟
- 平成12年鳥取県西部地震(島根大学地球資源環境学科)
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1995年1月17日05時46分 阪神・淡路大震災 M7.3
(兵庫県南部地震) |
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1994年10月4日22時23分
北海道東方沖地震 M8.1 |
- 1994年(平成6年)10月4日22時23分 (北緯43度22分 東経147度40分) 深さ30km
- 負傷者342名 住家半壊21棟 一部破損486棟
- 釧路市で震度6
- 北方領土におけるロシア側の被害は死者9名不明2名。1万人近くの住民軍人がサハリン、ロシア本土へ移住した。
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1993年7月12日22時17分
北海道南西沖地震 M7.8 |
- 1993年(平成5年) 7月12日 22時17分 M7.8 北緯42度47分 東経139度12分 深さ34km
- 死者172名 行方不明26名 重軽傷者143名
- この地震及び津波による被害は総務省消防庁の調査によると1300億円
- 北海道の小樽、寿都(すっつ)、江差と青森県の深浦で震度5の強震を観測
- 奥尻島、地震発生数分で最高30.5mの津波が押し寄せた。この津波による被害は、ロシア及び朝鮮半島日本海沿岸など広範囲。-海に近い場所で地震を感じたら、早く高い場所に避難する必要が教訓となった。
- 町営の神威脇温泉保養所の湯温が、普段60度前後のところ地震の10日前あたりから90度近くに上がっていた。
- 檜山広域行政組合
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1983年5月26日12時00分
日本海中部地震 M7.7 |
- 1983年(昭和58年)5月26日 M7.7 12時0分 青森・八戸では震度6 北緯40.4度 東経138.9度 深さ10km
- 男鹿半島沖から津軽海峡の西側にかけての広い範囲を震源域として発生した逆断層型の地震
- 死者104名うち津波での死者100名 建物全壊934棟 半壊2115棟 流失52棟 船沈没255隻
- 日本海側に発生した地震では過去最大の規模
- 気象庁の現地調査によると津波の高さは秋田県八竜町6.6m、秋田県峰浜村で14mの報告
- 本震から約1ヶ月後の6月21日、津軽海峡の西の海域でM7.1。前震活動は震央付近で、同年5月14日から最大M5.0の地震を含む地震発生
- 日本海中部地震(青森県防災ホームページ)
- 日本海中部地震(青森海上保安部)
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1948年6月28日
福井地震 M7.1 |
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1946年12月21日04時19分
昭和南海地震 M8.0
(南海道地震) |
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1945年1月13日03時38分
三河地震 M7.1 |
- 1945年(昭和20年) 1月13日3時38分 M7.1
(北緯34度41分、東経137度04分) 深さ0km 有感半径690km
- 渥美湾を中心に直下型地震
- 死者2306名 負傷者3866名 全半壊建物家23776棟
- この地震は一切報道されなかった。報道管制といって政府などの命令で、事実を発表してはいけないと、禁指令が出ていたため。
- 深溝断層が大きく動いて、西浦・形原あたりを中心に大きな被害をもたらした。
- 東南海地震のわずか37日後に発生 -東南海地震の余震として考えられた。
- わすれじの記
- 三河地震ホームページ
- 震度分布図(津地方気象台ホームページ)
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1944年12月7日13時36分
東南海地震 M8.0
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- 1944年(昭和19年)12月7日 13時36分 M8.0 震源地は熊野灘沖(北緯33度7、東経136度2)
深さ30km
- 静岡県、愛知県、三重県を中心に、兵庫や長野まで被害は及んだ。
- 死者871名 負傷者1859名 全壊住家13586戸 半壊住家11854戸 全壊非住家16686棟 半壊非住家11854棟
- 東南海地震(三重県)
- 東海・東南海・南海地震津波研究会
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1923年9月1日11時58分
関東大震災 M7.9 |
- 1923年(大正12年) 9月1日11時58分 M7.9 伊豆大島付近、相模湾で発生
- 死者行方不明 14万2千8百名 全壊建物12万8千棟 全焼建物44万7千棟
- 火災は地震発生時の強風のために煽られ、火災旋風を引き起こしながら広まる、鎮火したのは2日後の9月3日午前10時頃といわれている。
- 1960年、この地震のあった日を防災の日と決めた。
- この時、東京では3度の大きな揺れがあったという証言が多くあります。本震あとの余震は大きく、9/1の11:58-M7.9に続いて12:01-M7.2
12:03-M7.3 12:48-M7.1、 9/2には11:46-M7.6、18:27-M7.1と続いていました。3度の揺れの正体については特集関東大震災を知る(鹿島建設株式会社)に詳細。
- 本震の4ヶ月後の1924年1月15日には、M7.3の余震(丹沢地震)が丹沢山地で発生し神奈川県中南部に大きな被害を与えた。
- 関東沿岸に津波が襲う。波高は三崎で6m、州の崎で8.1m。
- 関東大震災(国立科学博物館)
- 関東大震災の惨状記録(探検コム)
- 関東大震災を調べる 横浜市 当時の記録、写真
- 関東大震災と地震防災(東京法令出版株式会社)震度分布図推定
- 関東大震災の記録(丹波篠山インターネットTV)モノクロ無音ですがダウンロードして見る場合トップページ右の「アーカイブ」から3つ閲覧出来ます。収録時間は約18分、避難してきた被災者であふれる駅周辺や、数多くの犠牲者の遺体が川に浮かんでいる様子など被災地の惨状が記録。閲覧は自己責任で。
- 大正震災誌写真帖(東京私紀Tokyonote) 注意:indexから「激震急襲」を選択すると震災時の音が流れるので注意。
- 関東大震災の写真集(指爺)注意:壮絶な写真あり
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1891年10月28日06時38分
濃尾地震 M8.0 |
- 1891年10月28日(明治24年) 6時38分 M8.0 (8.4の記録も多い)
- 震源地は本巣郡根尾谷(根尾村)(北緯35.6度、東経136.6度)
- 死者7469名
負傷者19694名 全壊住家85848戸
半壊住家62772戸
全壊非住家69855棟
半壊非住家50446棟
- 愛知県と岐阜県中心に起きた。
- 日本内陸部で最大級、世界でも最大級の内陸直下型地震
- 仙台以北を除く日本全土で地震動を感じた。
- 発生時後の有感地震は数え切れないほどの数、10/28の発生から10/31までに、およそ720回以上、その後も余震は絶えなかったとのこと。
- この地震をきっかけに地震予防調査会が発足 その後の地震学に大きな影響
- 根尾谷断層が現れる、地表面に現れたものだけで全長80kmに及んだ。
- 濃尾地震(国立科学博物館)
- 濃尾地震と根尾谷断層
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